M&Aの交渉が終盤に進むほど、売り手側は一種の「自由が奪われている」ような心理状態に追い込まれがちです。 膨大な資料を出し、自社の全てをさらけ出したデューデリジェンス(DD)の後。「ここまでやって、いまさら白紙になんてできない」という、後戻りできないプレッシャーが経営者の冷静な判断を鈍らせてしまいます。
しかし、その「引き返せない」という思い込みこそが、交渉の主導権を買い手に明け渡し、結果として条件を歪ませる要因になると私たちは考えています。
M&A BANKの斎藤と小林が、経営者が最後まで手放すべきではない「白紙に戻すカード」の真意を話し合いました。
アドバイザー選びの基準:あなたの「その後の人生」を言語化できるか
斎藤:M&Aのアドバイスにおいて、まず前提となるのは、アドバイザーと売り手の間でどれだけ深い「信頼関係」が成り立っているかだと思うんです。というのも、交渉の終盤、売り手には「サンクコスト(埋没費用)」が猛烈にのしかかってくるじゃないですか。DDを通じて、自分の会社の財務も人事も、文字通り「丸裸」にされている。
小林:そうですよね。情報を出し切った後だと、「これだけ開示しちゃったんだから、もう断れないよね」とか「この条件も妥協するしかないか」という、ある種の心理的な服従状態になってしまう。
斎藤:まさに。特に最近増えている後継者不在の「事業承継型M&A」だと、社長さんの高齢化や体調の問題があって、とにかく「時間がない」というケースが多い。そうなると、「もうお相手はここしかいないんだ」と思い込んで、買い手側に条件を押し切られてしまう。でも、本来アドバイザーの役割は、あらゆる選択肢を提示した上で、最後は売り手に納得して決めてもらうことなんです。
小林:斎藤さんの言う「信頼関係」って、結局「何にこだわるか」を事前準備の段階でどれだけアドバイザーが掴めているかってことですよね。成約するにしても白紙にするにしても、その判断基準を最初に握っておくことが何より重要だと思います。
斎藤:おっしゃる通りです。入り口の段階で、売り手が何に困っていて、売却した後にどんなセカンドライフを実現したいのか。そこをしっかり言語化して整理できるアドバイザーでないと、土壇場で経営者の自由が奪われ、「白紙撤回」という選択肢すら持てないような状態では、今後の人生を決めるような重要なディールを任せるのは難しいですよね。
理想的な条件・高い倍率で成約している案件の共通点
小林:今まで白紙に戻った案件を振り返ると、売り手が「金額」という数字にのみ執着し、事業の再現性や中身の戦略を自分の言葉で語れなくなった瞬間にバランスが崩れるように感じます。
斎藤:それはなぜでしょうか?
小林:結局、トップ面談などで買い手企業から事業の詳細を突っ込まれた時に、自分の言葉で語れないんですよ。金額面のことばかりを考えるあまり、事業の再現性や中身の戦略が伴っていない。その結果、買い手に足元を見られて条件を下げられると、今度はプライドが邪魔して「もういいです」と投げ出してしまう。M&Aを単なる「錬金術」みたいに考えていると、そんなに甘くないぞ、という現実を突きつけられてしまうわけです。
斎藤:そうですね。一方で、理想的な条件や高い倍率(マルチプル)で成約している案件には、明確な共通点がありますよね。それは「会社がしっかり伸びている」こと。そして「別に今すぐM&Aしなくてもいい」という余裕があることです。
小林:その「自力でも伸ばしていける」という経営として健全な状態こそが、交渉における最大の武器になる。
斎藤:そうなんです。「売り抜けたい」という背景を因数分解すると、業界が右肩下がりだったり、自分の力ではこれ以上伸ばせないという限界が見えていたりする。でも、将来の成長を描けない会社に高い倍率はつかない。そうなると必然的に、買い手と売り手の間に入る「仲介」でない限り決まりにくくなる、という構造的な問題も出てきますよね。
「思いを叶える」ためにアドバイザーに求められる熱量
小林:斎藤さんの話を聞いていて思うのは、仲介会社は「決めに行くこと(成約)」が第一優先になりがちだということ。対して、私たちのような売り主専属のアドバイザーは、決めに行くというよりは「売り手の思いをどう叶えるか」が主眼になります。
斎藤:立場が違いますよね。私たちは売り手の横に立って、同じ熱量で判断のステージに立つ感覚です。
小林:はい、契約上、私たちが最終決断を下すわけではないけれど、思いは熱くなりますよね。
斎藤:むしろ、短期間で経営者さんが会社を築いてきた背景をキャッチアップしなければいけないから、私たちの方がエネルギッシュに理解しに行かないと。熱くないアドバイザーなんて、信頼できないですよ。冷静なタイプの方でも、内側に「この社長を幸せにするんだ」という熱い思いを持っているかどうか。そこが売り手に寄り添う上での最低条件だと思っています。
「小さな約束」から想起される統合後のリスク
小林:実務上の話をすると、売り主側が「この相手で本当に大丈夫か?」と決断を迫られる瞬間は、買い手側の「小さな約束」の不履行に現れることがありますよね。
斎藤:具体的にはどういうことでしょう?
小林:例えばスケジュールの話です。「今週中」と言った時に、それが日曜日なのか金曜日なのか。あるいは「この日に契約書を戻します」と言って戻らないとか。こういう細かいスケジュールをオンスケ(予定通り)で動かせない会社に対して、売り主は「この会社と一緒になって本当に大丈夫か?」と強烈な不信感を抱くのは正当な反応です。
斎藤:はい。M&Aという経営の最重要局面で気配りができないなら、統合後(PMI)はもっとひどいことになるだろう、と判断しますよね。
小林:そうです。これは新人営業スタッフのミスじゃない。然るべき立場の経営者が、誠意を持ってスケジュールを管理すべきなんです。それを「すみません、今週無理でした」みたいな軽いノリで済ませてしまうと、信頼関係は築けないし、売り手も「気持ちよく成約させよう」という気にはなりずらいですよね。こうした買い手の不誠実さは、白紙に戻すべき決断要因にもなります。
斎藤:おっしゃる通りです。逆にいうと私たちアドバイザーもそこをしっかり握りに行かなきゃいけない。100点満点は難しくても、常にそこを意識して気配りしなきゃいけないんだな、と日々勉強させられます。「時間は金なり(タイムイズマネー)」と言いますが、M&Aにおいて時間が延びればそれだけリスクが膨らみ、損失になる。その認識を持って動かないと、相手に失礼なだけでなく、シンプルに企業価値を下げてしまいます。
交渉を優位に進めるための「事業計画」という規律
斎藤:以前、YouTubeの動画や売り手から直接伺った話で印象的だったのが、「高いマルチプルをつけるには、DD期間中に出した事業計画を、実際の数字で上回り続けることが大事だ」という点です。
小林:それは相当ハードですが、そこで数字を落とせば買い手から減額の口実を与えてしまいますからね。
斎藤:はい。DDの対応で膨大なリソースを割かれると、どうしても本業が手薄になり、計画を下回ってしまう。そうなると「言ったことができていないじゃないか」と、交渉力が一気に下がるんです。だから、高い倍率を目指すなら、相当な覚悟と計画性を持って、交渉中こそ気を張って本業を伸ばし続けなければならない。あくまで高い金額を獲りに行くことを目指すのか、もしくは他の条件を優先するのか。そこは売り手の判断次第になるのかなと。
小林:売り手の白紙判断だけではなく、買い手から白紙に戻されてしまう要因ということで言えば、「事業計画の精度」もありますよね。以前、担当したお菓子屋さんの案件がありますよね?
斎藤:はい。「事業計画を立てたことがない」とおっしゃっていた、あの案件ですね。
小林:そうです。結局こちらでヒアリングして立てましたけど、ファンドさんが手を挙げてくれた後のトップ面談で、事業への思いは熱く語れたものの、肝心の「数字の再現性」をうまく語れなかった。そこで売り主の経営者さんが「そんなんだったらもういいです」という態度になってしまうと、話が前に進まなくなり買い手側から断られてしまうことになりますね。
斎藤:やはり、いかに相手(買い手)のことを考えて取り組むかに尽きますね。自分の希望を通すために、相手が社内でどんな検討をして、どんな決裁が必要なのか。そのために自分たちはどんな情報を出し、説明すべきなのか。それを私たちアドバイザーと一緒に作り上げていく規律が不可欠ですよね。
総括:M&A BANKが「白紙に戻す決断」を尊重する理由
M&Aは、成約して終わりではありません。売り主がその後の人生を歩むための「再出発」のプロジェクトです。
もし交渉の途中で、当初の目的から遠のき、納得のいかない条件を押し付けられそうになったなら、私たちは「白紙に戻しましょう」と申し上げる覚悟があります。
最高のエグジットとは、経営者が最後まで主導権(レバレッジ)を握り、プロフェッショナルとしての規律を保ち、納得感を持って握手を交わすものと考えています。そのための「盾」として、M&A BANKは常にあなたの隣に立ち続けます。